経  歴

初めまして。北方のある県で,公立小学校教員をやっている…

こんぱす先生です。

こんぱす先生はどんな人物なのか,知ってもらえると嬉しいです。

こんぱす先生のこれまでの人生

先生を目指したきっかけは,「人と関わることを仕事にしたいな」という簡単なものでした。

小学校時代

小学校の時には,たぶんですが,学級委員とかやってた気がします。幼稚園や小学校時代の記憶がございません。

夢は,「宇宙飛行士」

だった気がします!(たぶん)

中学校・高校時代

中学校の時の担任の先生が,話を聞いてくれて,親身になってくれて,こういう人になりたいなと思いました。その時に,なんとなく学校の先生」は候補としてはありました。

高校の時には,ハンドボールをしていて,何度も怪我をしました。

その時には,「怪我をして,同じような思いをする人を減らしたい」という考えから,アスレチック・トレーナーを目指していました。

そこで受験先として考えたのは,筑波大学の体育専攻でした。

しかし,センター試験で思うように点数が伸びず,受験を諦めました。

志も弱く,何をしたいかも明確にならず,とりあえず受験できる地元の教育学部を受験し合格しました。

大学時代

大学に入ってからは,部活動に熱中して,ほとんど勉強をしませんでした。とりあえず進級できる単位を取りにいく程度の学生でした。

専攻は,教育学。あとは,保健体育の免許を取るための講義を取っていました。

大学4年生の時,仕事どうしようかな?と少し悩み,そういえば「アスレチック・トレーナー」になりたいと思ってたんだと思い,筑波大学大学院の見学や入試勉強をしました。

そんな時,父親の癌が見つかり,地元を離れるわけにはいかないと考え,また,何をしたいのかがはっきりしなかったので,そのまま通っていた大学の大学院に進学しました。

大学院時代

大学院に入ってからは,教育学,特に,教育方法学,総合的な学習の時間の研究にのめり込みました。

大学まで,週刊少年ジャンプや鋼の錬金術師,ワンピースなどしか読んでこなかったのですが,批判的教育学や学習集団づくりなどにも興味があり,今までにないくらい本を読みました。

初めて没頭できる学問に出会ったな,と思いました。

と同時に,こんなことも自分は知らないのかと焦りました。

修論を執筆しながら,小学校の先生か博士課程進学か迷いました。

なぜ小学校の先生かというと,土日が休みだし,時間ありそうだな,という理由です…

色々模索して,「自分の教育理論を実証するためにも,現場の状況を知るためにも,学校の先生をやってみよう!」と思いました。

その後,採用試験を受験しましたが,不合格…

講師時代

次の年,地元の小学校で2年生を担任しました。

この頃に出会ったのが,アドラー心理学です。褒めない・叱らない,その行動の背景を理解する。

これまでの教員経験で,一番学級経営が上手くいっていたなと思います。

その学校は4学級あり,一番下っ端なので,あまり仕事もなく,たくさん試験勉強することができました。

そのおかげで,合格することができました。

初任3年間の時代

赴任したのは,生徒指導困難校でした。放課後3時間は生徒指導上の対応。6年生女子にカッターを突きつけられ,「殺してやる」と言われたこともありました。単純に怖かった…

その頃の興味は,体育。いかに運動時間を確保するか,有意義な思考の時間をどのようにつくるか,そして,「楽しい」と思える授業をどのように構想するかを重点にしていました。

他には,とても良い学年に配属され,学年経営や教育の本質とは何かを考えることができました。

学年経営では,

「学年主任は1年の見通し,学年教務は1ヶ月の見通し,3番目は1週間の見通しをもつこと」

「子どもの実態に合わせた学年目標を常に念頭に置き,どのような子どもを目指すかを共有し,同じ方向を向いて教育活動をすること」

「準備が9割」

などを学びました。

教育の本質については,わかりません!これからも模索します。

これからも自分が行っていることは

何か,何のためか,何につながるのか,本当にいいのか,と問い続けていきたい

と思います。

県内「一番」の学校への初転勤

何を評価されたかわかりませんが,県内の「一番」と呼ばれている学校へと転勤しました。その学校は,実習生を受け入れたり,県内の教育研究会の事務局を受け入れたり,ほぼ毎年学校公開研究会を開催したりしている学校でした。放課後3時間は,自分の学級や授業とは関係ない仕事を3時間。

当初,この学校なら,先生として貴重な経験ができるだろうと思い,その話を受け入れました。

しかし,事務局の仕事に忙殺されたり,学校経営の考え方に賛同できなかったり,教育活動への自由度がなかったり,何かしようものなら周りの目が気になったり,心に多くの負担がかかっていたようです。

その時期,妻も第一子を身籠もっており,妻が辛い生活をしているのに,一緒にいてあげられないこともストレスでした。

その結果,鬱病になりました。「教師なんて辞めたい」「(妻は)私と結婚しない方がよかった」「死にたい」など,ずっとこんなことを考えていました。

この休職期間が,人生の目的を考える貴重な時間となりました。

それでも支えてくれた妻や友達,何よりも元気に生まれてきてくれた息子に感謝です。

何とか復帰し,1年で転勤させてもらうことになりました。

現在は…

プロフィールにも書きましたが,現在は6年生の担任と研究主任,ICT主任,総合的な学習の時間主任として働いております。

心が弱く,意志も弱く,軸がブレブレだった私ですが,少しずつ前に進んでいる気がします。

これからも,たくさんの本を読んだり,多くの人と出会い学んだりしてていきたいと思います。

そして,教育の本質を探究し続けたり,自分という人間をより理解してより良い自分になれる行動をしたりして,一度きりの人生を楽しく充実させていきたいと思います。

長文になってしまいました。ここまで読んでくださった方々,本当にありがとうございました。皆さんの人生が有意義なものとなるような情報をたくさん発信していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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